オゴタイのブログ。

1998年生まれ/慶應商学部/書きたいことを書きます。

今泉佑唯ソロ写真集『誰も知らない私』を読んで。

初めまして、オゴタイです。

 

この度ブログを開設しました。

 

一番最初のこの記事では、10月6日に出版された欅坂46今泉佑唯さんの写真集について書き連ねたいと思います。

 

まずこの今泉佑唯という女性、彼女の魅力を三つの観点で謳いたい。

 

一つ目に家族構成。

彼女は4人の兄を持つ末っ子の一人娘だ。彼女の愛くるしさは妹であることが完膚なきまでにたらしめているのである。

 

二つ目にファンへのレスポンス。

欅坂46には握手会というカルチャーがあり、握手会の日には付近の交通機関に独特の雰囲気を纏ったファンが散見される。

この握手会で今泉佑唯は猛威を振るう。

バストに触れそうになるくらい腕を引っ張り、美しい顔面を近づけてキス顔、コンドーム並の至近距離で『大好き♡』等の甘い言葉をアプリコットの香りの吐息とともに投げかけてくる。ちなむと私は足を運んだことがない。

 

三つ目にボディ。

アイドルファンの間ではアイドルを性的な目で見るのはタブーとされがちである。

坂道アイドルでは特にこれが顕著だ。

しかし今泉佑唯は小柄の童顔でありながら豊満なバストを持っており、俗に『ずーπ(ずーぱい)』と呼ばれている。

彼女のバストの話をすると一部のファンは立腹する。「ずーみんをそんな目で見るな。」と。だが彼らも彼女のバストが豊満であることは気づいているはずだ。見れば分かるので。

 

 

「ずーみんのおっぱいすこ。」

 

ではこの三つの観点を抑えつつ、写真集の魅力を語っていく。

前提として写真集は基本的にアイドルの赤裸々な姿を初解禁する場である。

今泉佑唯欅坂46を卒業するとの発表がなされモタク達は悲しみに暮れていた。

そのすぐ後日写真集が出ると分かり、悲しみから一転しモタク達は股間と期待を膨らまし「待ち」の態勢に入った。モタクは本能に従順な野獣なのだ。

ずーみんの豊満なバストは服を着た状態でさえ猛威を振るっていた。

バストが服の下で自己主張をしてキツめの服だとパツパツになってビリッと今にも破けそうだった。

そんな彼女の乳房を包んだベールが、この度はだけてしまったと。遂に「生ずーぱい」が拝める。はち切れそうな服の下にはどんな禁断の果実が実っているのか。

私は書店から帰宅した刹那自宅のベッドに写真集を右手に、ティッシュ箱を左手に携えダイブした。私は写真の世界にワープした。

「オゴタイくん。」

佑唯だ。

佑唯の声だ。

「オゴタイくん!」

「佑...佑唯...!!こ、ここは....?」

「ここはナポリ。誰も知らない私を、オゴタイくんだけに見せるね♡」

「佑唯.....!!」

急だ。そんな姿を公然と見せたことなんて無かったじゃないか。なんて格好をしているんだ...佑唯...佑唯....

ベッドの上で押し倒されたかのような下着姿の佑唯。連想される行為は一つだった。

不可逆なものだと思った。もう戻れないんだ。君と性行為をするしかない。一方通行だ。

水着の佑唯。水泳行為に特化した水着ではない。女性としての性的な魅力を最大限引き出すことに特化している。男性を悶々とさせることに特化している水着だ。

アンダーヘアの領域を布で纏っていない。当然アンダーヘアは処理されている。誰が。どのように。自分でやった。それはそうだ。

そういうバックグラウンドを脳裏に浮かべる度やや憂いを帯びる。

日は沈んだのだ。

 

端的に言うと、性的に消費された写真が多い。

精通を迎えていない小学校低学年か中学年でない限り、この本を健全な目線で楽しむなど以ての外である。

しかし、最後の方に記載されている斜陽をバックに泣いている佑唯の写真を見て、一気に陰茎が縮小した。

思い出した。

彼女は孤独と共生する人間であると。彼女の世界には彼女しかいないのだと。彼女は自分の世界の外にいる人々に訴えている。

「誰も知らない、今まで閉じ込めていた私を、今泉佑唯を見て。お願い。」

彼女を性的に消費し続けた自分に嫌気が刺した。自己嫌悪に陥った。僕が彼女の片割れになるのは不可能だと悟った。

最後にこの写真を挿入してくるのは粋なはからいだと思った。

 

彼女のこれからの活躍も期待したい。